前回の続きで、『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』を観た感想を語っていきます。
前回の記事では映画を観た直後の感想なので、今回の記事では冷静に、特に気になった問題点、EP8はどうすればよかったのか、EP8を観て悲しくなった理由について簡単に書いていきます。
今後の数記事はEP7とEP8を観賞済みの方が読むという前提で書いていきます。
評価
SWEP8最後のジェダイは、僕の中では【歴史に残るレベルで酷い映画】です。
駄作の中の駄作。この作品の酷さを形容できる日本語を、僕は知りません。僕が今まで見たどの創作作品よりもあらゆる面で酷く、かつてない程に観ているのが苦痛になり、観た事を後悔してしまう――そんな映画でした。
過去作との相違とかを抜きにしても単純に映画としてつまらなかった。
他人の感想を調べたりすると「期待してたけどガッカリ……」や「そこそこ楽しめた」「最高傑作!」といった感想の方もいますが、僕からすれば彼等は聖人です。大草原のように広大で、菩薩のように寛大な心を持っているのでしょう。
最後のジェダイには、穏かな僕でも流石にプチンときました。
もし僕がサイヤ人だったら上映終了後に神速でスーパーサイヤ人になっていましたね。劇場の照明が点灯する前に金色に輝いて場内を照らし、そのまま武空術で劇場を突き破り、地球上の全SWファンの憤怒と絶望を集めた憎悪玉を作り出して監督の家に放っていた事でしょう。
点数
5点満点で評価すれば1点です。
この1点はオマケです。作中でR2D2とルークのやり取りがあるのですが、そこが唯一この作品の良心であり心がほっこりするシーンでしたのでオマケで1点あげました。
あのシーンがなければ、この映画は冗談抜きで0点ですね。
むしろ見なければよかったと後悔するのでマイナスです。ー5点。
レビューサイトで5点満点中の4点近くになってるところもありますが、信じてる方いませんよね? あんなの全部嘘っぱちですよ!
中には『TIME/タイム』に100点満点中で90点付ける人もいるので、やはり自分で観るまで何も信じられませんね。
この作品を無理矢理に褒めている方を見ると、居た堪れない気持ちになります。
観賞後に某掲示板のSWスレを見た時の話
ふと思い出したので。
EP8観賞後ガン萎えしながら帰宅した僕は、EP8を観た他の人達がどんな感想を抱いているのか知りたくなりました。といっても公開直後で夜中だしブログで感想を書いている人もいない状況。こんな時に最高に役に立つのが2chですね。
普段は映画鑑賞直後に2chは見たくない(感想が影響されたり、正反対の感想の人が多くいたらと思うと怖い)のですが、今回はおかまいなしに2chの最後のジェダイの本スレを見に行きました。
そこに書いてあったのは…………
酷評の嵐。
もうボロボロ。皆が皆、感情のままに否定していました。本スレがアンチスレ状態みたいになっていました。その書き込みを見た僕は安心しました。自分の感性が間違っていなかった、皆がこの映画をつまらないと思ってくれているんだ、と。
ちなみに、その数日後にスレを覗きに行ったら不自然なまでに褒め称える書き込みが多く見られました。何故なんだろう。
褒める事について
自分は否定していますが、悪かった点を貶すだけでなく良かった点を見つけて褒めるのは良い事です。ポジティブな感情の方が見ていて気持ち良いですからね。
でも、悪かった点を無視して無理に良い点だけを取り上げるのは違います。それでは嘘です。僕は嘘をつくのもつかれるのも大嫌いなので、面白かった映画は面白かったと、つまらなかった映画はつまらなかったと言いたい。
そして、この映画は本当につまらなかった。
僕は、この映画には良かった点は見つけられなかった。見つけようという気すら湧かなかった。冷静な今見れば少しは変わるかもしれませんが。
だから、自然と悪かった点だけを取り上げる事になってしまいました。
「そんな事ないだろ。普通に面白かったじゃん」と本音で言える方も勿論いるでしょう。人によって感性は違いますので、全てのシーンで僕とは真逆の感想を抱く方もいるはずです。
ですが、残念ながら僕は本作を面白いとは口が滑っても言えません。
酷く、つまらなかった。それが僕の評価です。
面白いは正義
『最後のジェダイ』をつまらなく感じた具体的な理由は、主に前回の記事で書いた突っ込みどころ多さにあります。
しかし僕は【突っ込みどころがある ≠ つまらない】だとも思っています。設定やストーリーにどんなに大きな粗や矛盾や突っ込みどころがあっても、最終的に面白ければ気になりません。
パッと思いついた作品で、タイムトラベル物の傑作『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』を例にあげましょう。
BTTF2には、物語の根幹に関わる展開で大きな矛盾点があります。
※以下ネタバレ有り
- 物語序盤、タイムマシンのデロリアンに乗って現代から未来へやって来たマーティとドク。
- しかし二人が目を離した隙にビフ老人が勝手にデロリアンに乗り込み、過去を改変しに行く。
- 目論見通り過去を改変したビフ老人が未来へ帰還。
- その後、未来で目的を果たしたマーティとドクが現代へ帰還すると、かつての現代とは様子が違っていた。ビフ老人が過去を変えたせいで絶望の世界になっていたのだ!
という展開なのですが……ここが、ちょっとおかしいです。
過去を改変したビフ老人が元居た近未来に戻ってこられるのはおかしい。過去を変えてしまった時点で、未来へ戻ろうとすれば改変された世界の未来に行くはずなんですね(ドラゴンボールのタイムマシン設定のように、デロリアンに平行世界の位置を記憶して移動する機能があれば別ですが)。
本来ならマーティとドクが再びデロリアンに乗ることはできず、過去を改変することもできない。ビフ老人のせいでパラレルワールドが発生し、マーティ達は改変された現代(過去)へ帰還することができないまま、物語は絶望のエンディングを迎えるはずなんです(デロリアンを失った事に気付いたドクとマーティが共にデロリアン二号機を作り過去へ戻るという展開にはできるけれど)。
他には、僕が最近何度か劇場に観に行った映画『グレイテスト・ショーマン』は見ると最高に元気を貰えて僕は大好きな作品でしたが、突っ込みどころも一応ありました。フリークスの掘り下げ不足、バーナムの心理描写不足、美化しすぎ――といった具合に、無理矢理に突っ込める点はあるんです。
でも、そんな事はどうでもいい。
BTTFもショーマンも、ちょっとだけ引っ掛かっても「別にいっか、面白いし」で終わりです。全く気にならないんですよ、そんな細かい事。もし物理的や論理的におかしい事があっても、突っ込みどころがあっても、どうでもいいんです。
だって面白いんだもん! 観て良かったと素直に言える作品なんだもん!
何が言いたいかと言うと――
つまらないから突っ込みたくなる。面白いは正義なんですね。
そして、『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』は本当につまらない。つまらないから何もかもが気に入らなくなる。あらゆる欠点が目につき、突っ込みたくなる。
もしEP8に満足できていれば、「ルークの変化もまぁ分かる」「ローズ生きててよかった」「ワープ特攻は必要悪だったか」となったかもしれません(なるか?)。
でも、つまらないからそうはなりませんでした。全てが許せない欠点になります。
――というか、そもそもBTTF2やショーマンと違ってEP8は粗が多過ぎて嫌でも目についてしまいますね。粗を気にしないのが無理なレベルでした。長々と書いておいてなんですが、そう考えると全く別の話ですね笑。
『最後のジェダイ』の問題点
最後のジェダイの中でも特に酷い問題点について詳細。
スター・ウォーズらしさがない
突っ込みどころの多さ以外にも、EP8には問題点があります。
一番の目につく問題点は(これはEP7の時からなのですが)、世界観がおかしく、過去作との整合性がない点。そしてスターウォーズ感が薄く、全体の雰囲気がスターウォーズのそれではないんですよね。
まずアジア人が当たり前のように出て主役っぷりの活躍がだめです。
そして違和感。カメラワーク、演出、惑星や生物の描写、戦闘シーン、外連味――。ですが、これらは目を瞑るしかないです。制作元も監督も変わってしまったのですから雰囲気が変わるのは当たり前ですもんね。それでも意識して似せることは出来たと思います。
ローズ(とフィン)のパートが丸々不要
『最後のジェダイ』における最大の問題点。本作の癌。
人種や容姿の問題はおいといて、ローズとフィンでなんだかんだとやるパートが丸々必要ないんですね。これのせいで映画としての完成度がガタ落ちしている。一つの物語として破綻しているレベルです。
ローズパートを消しても物語が成り立つ。むしろ完全に消して30分くらいに収めれば、突っ込みどころはあるもののEP7の続編映画として成り立つ出来栄えになります(だからこそ、最新の予告映像でローズパートは完全に隠されていました)。
この問題点の解決策については、のちのち記事にする『最後のジェダイの改変案』で取り扱いたいと思います。
レイアの宇宙遊泳
突っ込みどころに関して前回の記事で自分が気になった点を書きましたが、正直あれだけあっても幾つも抜けている部分があるはずです。
中でも極めて酷いと思ったのが、レイアがフォースで宇宙遊泳したシーン。
あれにはドン引きしました。
「え……? え? なんで生きてるの? なんで当然のようにフォース使ってるの?」と困惑です。きっと大半の人が同じ反応をされたかと思います。
というか、あれを見て「お、フォースに覚醒したか。まぁレイアだもんね」って自然と受け入れられる人いるの??
正直、あんなシーンを見せられた後では、宇宙遊泳の他にも次から次にフォースを乱用されるのが怖くて気が気ではなく、レイアにはそのままフェードアウトしてほしかったです。物語的にもレイアは既に役目を終えていますし、あそこで亡くなってベン君の決意のトリガーになった方が自然だと思います。
このシーンに限らず、最後のジェダイは撮りたいシーンのために設定や物語を破綻させすぎ。
ヨーダについて
次はヨーダ。この点に関しては賛否両論あると思いますが、個人的に酷いと思ったのがヨーダのパペット出演です。
ヨーダが登場するだけならまだしも、あのパペットはなんなのだろうか。EP5や6で出てきたような老人ヨーダでなくてはいけない、という考えは分かりますし、再びパペットで再現性を出してくれて嬉しいという意見も理解できます。感動した方もいるでしょう。
ですが、僕には完全な逆効果に思えました。
再登場させるなら、あくまでEP1~3のヨーダのCGの延長で、現代の技術力を駆使して、相応しい姿で年老いた彼を格好よく甦らせてあげればいいじゃないかと思ったんですね。パペット時の面影を保ちつつ、プリクエルで見せたような生気のある老ヨーダを再現できたはずです。
「お前等、こういう昔のヨーダが見たかったんだろ?」パペットドーン!
みたいなの、僕は嫌いです。ファンサービスに否定的なわけではなく、このヨーダに関しては相応しくないと思ったんですね。
フォースの落雷についてはすぐ↓に続きます。
ルークの扱い
後述します。
EP9以降のSWが辿る未来
突っ込みどころの中でも異色なのがヨーダによるフォースでの落雷ですね。
あれ、流石にヤバすぎませんか? 霊体状態で現世に干渉できるとか、作品の根幹に関わる超絶設定ですよね。今後は困ったらジェダイの霊体を召喚して攻撃してもらえるって事ですよね?
EP9で ↓↓↓ みたいな事になってもおかしくないんですよ?
――――――――――――――――――――
「ぐへへ~。これで終わりだレイ。くらえ~!」 ライトセーバーブオォォォン!!
「キャー!! ベンに斬られるー!! 誰か助けてー!!」
「そこまでだ、ベン!!」 シュバババッ!!
「「 !!? 」」
クワイガン、オビワン、ヨーダ、アナキン、ルークの霊体が颯爽登場。
「「「「「 くらえ、ベン!! 正義のフォース・ライトニング!! 」」」」」
天から無数の稲妻が降り注いでベンに直撃。ドカーーーン!!
「グエ~。やられたんご~。クッ……流石は伝説のジェダイだ……ぜ……」 バタッ
「ありがとうルーク! ありがとうジェダイの皆! そしてありがとう、スター・ウォーズ ファンの皆!!」
――こうして銀河の平和は守られた。霊体の彼等が居る限りシスの繁栄はあり得ないのだ。これからもレイの冒険は続く。
黄昏るレイの横に5人とベンの霊体が寄り添い、沈みゆく双子の太陽を皆で眺める感動的なシーンでメインテーマが流れながらエンドロール。 ~Fin~
――――――――――――――――――――
もう滅茶苦茶だよ。
でも、こうなってもおかしくないってことなんです。いや本当に。ガチで無視できない問題です。
フォースがあれば宇宙でも生存できるし、スカイプできるし、物質転送できるし?、霊体で現実に干渉することもできる。最早なんでもあり。フォースに出来ない事なんてない。
EP9の可能性は無限大になりました。どんな物語になってもおかしくありません。
◆数百年後の世界で、一般人が伝説のジェダイの霊体を召喚して聖杯を巡る戦争でもおっ始めるんじゃないですかね?
ヨーダ「問おう。おぬしがわしのマスターか?」
主人公「マスターはお前だろ」ライトセーバーブンドリー
ヨーダ「わしのじゃ! わしのじゃ!」 的な感じで。
◆それかデュエルディスクにジェダイの魂が封印されたカードを叩きつけて、召喚して戦うとか?
「俺はこいつを召喚するZE! 現れろ我が僕、マスター・ウィンドゥ!」ATK/3000 DEF/0 みたいなね。
◆あるいは誰もがフォースを操るジェダイやシスになった世界で、宇宙空間を生身で飛びまわりながら戦いまくる最強ジェダイの飽和した設定とか? 手からファントムエネルギーを撃ちだして惑星を破壊しあうかも。
「きさまらジェダイは罪のない者を殺さなかったとでもいうのか?」
「……だから滅びた」 ――どっかで見たなこれも。
◆はたまた、勉強はできないけど実技最強でミディ=クロリアンから生まれた落ちこぼれのやれやれ系主人公が学園に迫るシスの脅威をと戦うラノベ物にでもなるとか?
「あれはッ……!! 伝説の虹色のライトセーバー使いッ!!」とか、フォースで敵を吹き飛ばしながら「またオレ何かやっちゃいました?」みたいなね。ちょっと面白そう?
これもうわかんねぇな。
上のは極端な例ですが、そうなってもおかしくないような設定の改変をEP8はしてしまったということです。
『最後のジェダイ』のテーマ・ルークの行動について
真面目に語ります。
本作は『ジェダイの否定』がテーマの一つになっていると僕は思いました。ジェダイの存在意義は? 本当にジェダイは特別な存在なのか? 必要な存在なのか? そもそもジェダイとは? ――というのものです。
このテーマは別に問題ありませんな。むしろ僕的には新しいスターウォーズの可能性を開拓するに相応しいテーマだと思いました。
ジェダイの力があるからシスが生まれてしまうわけですしね。
光があるから闇が生まれる。光が強さを増せば、闇も深くなってしまう。
『光なんてなければよかった。光が存在すること自体が間違いだった』という事を光の象徴たるルークが悟ってしまう展開というのは自然なのかもしれません。
実際に作中でも、ルークのせいで(スノークも関与しているが)新たな闇であるカイロレンが生まれてしまい、ルークはそれを悔み、隠遁生活へ逃げていましたね。
だから、ルークが逃げるのはいいんです。ジェダイの存在を否定するのもいい。(乳絞り等の酷いシーンはなくすとして)
問題はその後の展開です。
ルークが新たな光であるレイと出会い、ジェダイの存在意義について再び葛藤し、かつての師と語らうことで自分の過ちを理解し、立ち上がり、新たな光へ希望を紡ぐ決断をする。
そんな展開になればよかったんです。本作はその展開にしようとしたのに、それができていない。変に奇を衒ったり捻くれた展開にしたせいで心情変化が分かりにくく、何を言いたいのか分かりにくくなっているんです。
具体的にルークは ↓↓↓ のように行動すればよかった。
レイには負けずに語り合いとなり、それでも行かない選択をし、ヨーダと語らうことで自分の過ちを理解し、再びライトセーバーを手にし、フォースで引っ張り出したXウイングで妹レイアのピンチへかけつけ、かつての教え子であるベンと対峙し、長年鍛え続けてきた集大成のフォースの力をもって圧倒し、光の強さ・暗黒面の無力さ・ベンが進むべき道を示し、時間稼ぎの役目を終えた後、ベンとレイの中に確かな光を見出し、オビワンのように霊体となって見守る選択肢を選ぶ。
誰もが望む、そんな展開にすればよかった。
ただの格好良いルークの願望に思えますが、その格好良いルークを見せる事こそが面白さに直結するし、多くの方が『最後のジェダイ』に期待していたことでもあるはずです。
「それだとレイアのピンチに間に合わない」といった意見も出るでしょうが、それこそ『面白いは正義』です。生身のルークが駆けつけてベンとの剣戟を見せてくれるなら、そんな些細な事は気になりません。矛盾なんていくらでも後付け設定で補完すればいいんですから。
それができたはずなんです。でも、しなかった。
劇場に足を運んだ僕達は、過去作からは想像もできない、ありえないくらい格好悪いルークを見せられました。
ライトセーバーを投げ捨て、エイリアンの乳を搾り、飲み、暗黒面にブルッて弟子を夜討ちしようか迷い、レイにチャンバラで負け、本を燃やすかウジウジ悩み、幻影で参戦するものの、それを出すのに力尽きて逝去。
「とりあえず太陽二つ見させながら霊体にさせとけば感動するっしょ(笑)」といった制作の浅すぎる思惑が透けて見えるまま、なんとなく退場してしまいます。
こんな結末を誰が望んだのでしょうか?
こんな凄惨な新作になるなど誰に予想できたでしょうか?
何故、とても綺麗なハッピーエンドを迎えた英雄達を引っ張り出して穢さなければいけないのでしょうか?
そりゃ誰よりもルークを愛しているマーク・ハミルも脚本に不満を持ちますよ。
過去作との比較は悪なのか?
物語を作る上での心得に『期待に応えて予想を裏切れ』という言葉があります。しかし本作はそんな心得など完全無視。
期待を踏みにじり予想をはるか斜め下に裏切ってくれました。
そもそも本作はテーマの表現の仕方を履き違えている。
本作はジェダイの存在だけでなく、過去作すらも否定している。
単純に映画としての出来が悪く、無意味なシーンばかりで過去作との整合性もとれていないだけでなく、昔からのファンを、スター・ウォーズのファンを馬鹿にしている。そうとしか思えない作品になっている。
なによりも、僕にはそれが許せなかった。こんなブログを作って思いを発信したくなる程に、許せなかった。
本作を楽しめたという方には、以下の様な意見の方もいるかもしれません。
- 「新シリーズなんだから過去作と比べるのは間違っている」
- 「楽しんだもの勝ちなんだから叩くな」
これらの意見は正論に思えますが、でもやはり間違っています。
本作が新キャラしか出ない、世界観だけを受け継いだ完全スピンオフ扱いなら、その意見は正論です。
でも本作は『スター・ウォーズ』の名を冠する正統な最新作なんです。
過去作と比較されるのは当たり前なんです。『コカ・コーラ ゼロ』を初めて飲むときは、先ず『コカ・コーラ』と比べて美味しかったかどうかを美味しさの基準にしますよね。それと同じです。続編は前作と比較され、つまらなければ否定されるのは避けられません。
そして、続編であり過去作の主人公達まで出演している正史のスターウォーズである以上、これまで築いてきた世界観やルールを壊すことは、作品として絶対に許されません。同じ作品世界なんですから。『アベンジャーズ』の最新作を観に行ったのに、いるはずのない『バットマン』が突如出てきて活躍(足を引っ張る)していたら困惑しますよね。(バットマンならまだしも、ローズの場合はいいとこロビンが無双してる感じ)
それに、懐古厨や古参厨といった言葉で煽る方もいますが、そうじゃないんです。過去作に固執するとかしないとか、そういう問題じゃないんです。
『スター・ウォーズ』なんだから『スター・ウォーズ』でなきゃいけないんです。
概念を壊していいわけがないんです。
残念な事に正史なのは変わりませんが、ここまで観てしまった以上は最後まで見るしかないですよね。EP9はどうなるんだろう………。
観賞後に悲しくなった理由
長々と語りましたが、僕はまだいいんです。
幼い頃に父の影響で映画を好きになり、スター・ウォーズを見て好きになり、新たなシリーズが始まると聞いてワクワクして、でもEP7がつまらなくてがっかりして、EP8にちょっぴり期待して、それを打ち砕かれた。
ただ、それだけの事なので。ただ残念だったというだけですから。
でも昔からのファンにとっては違う。そんな簡単な話じゃすまないんですよ、本作は。
父の話になります。
映画が大好きな僕の父は、かつて40年前に池袋の劇場へ赴きEP4を観たそうです。
父は言っていました。
「40年前、初めて池袋の映画館で見た時の感動は、本当に表現できない程だった」
技術が進歩した今、僕達は自然と目が肥えてしまっています。そんな僕には当時EP4を見ることがどれほどの衝撃だったのか想像もつきません。きっと、自分の中の固定概念が一瞬で覆ってしまったことでしょう。
僕も映像作品で感動する事がありますが、その感動の中でも最大級のものと考えれば、それはまさに革命そのものだったと思います。(当時、劇場で見た方がいたらぜひ感想を教えていただきたいです)
EP4の観賞以降、父はずっとスター・ウォーズのファンです。ダースベイダーのテーマを鼻歌で歌っているような人間です。そんな父はEP7を見た時も酷評などせず、新たなシリーズの誕生と展開を受け入れて楽しんでいました。
ですが、EP8を見た後、父は言いました。
「もう……悲しくなるよね。長い時間みんなが守って楽しんできた世界をぶっ壊されちゃった。エピソード1から3も危なかったけど、最後は丸くおさまった。でも、今回のこれは違う。世界もストーリーも壊されたら、もう絶対に回復できない。スターウォーズは終わったね」
これを聞いて、僕も悲しくなりました。
にわかなファンの自分でさえ見ていて許せない気持ちになったんです。何十年とシリーズのファンであり続けた人達からすれば、人生をスターウォーズと共に歩んで来た人達からすれば、一体どんな絶望感だったことか。
こんな悲劇は絶対に繰り返してはいけない。繰り返さないでほしい。
願わくば、続編のEP9が本作の批評を過去にするような傑作になることを祈って。
以上、『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』の感想でした。
今後の記事について
散々に書いてきましたが、ただ「つまらなかった」と酷評して終わりではつまらないですよね。
なので面白の絡繰というタイトルらしく、『一体どうすれば、EP8は面白くできたのか』について、今後の記事で考えていきます。問題点をあげ、上に書いたルークの行動改変などを更に細かくやっていく感じです。
しかし、EP8はEP7の続編であり、根本であるEP7から修正すべき点はあります。てことで、先ずはEP7を改変していきます。
多分かなり長くなりますが、よければ見てください→SW/EP7 改変part1 『フォースの覚醒』の問題点とは!? 物語で一番大事な要素とは何なのか!!